「儲けなければ誰も幸せにできない」電気屋→水道屋→カフェオーナー→不動産屋と経験した職人の波乱万丈人生|金城設備工業 金城一雄さん

今回、千葉県で水道・電気工事業を営まれている金城設備工業の金城一雄さんにお話を伺ったところ、波乱万丈の人生とその人生で培った仕事哲学をお話いただきました。

中卒で飛び込んだ建設業の世界

−−建設業をはじめられたきっかけを教えてください

中卒で知識や経験があるわけではなかったので、自分の体を使って飯を食べて行こうかなと思い、建設業の仕事を始めたね、最初は。

−−はじめはどのようなお仕事をされていたのですか?

はじめは電気屋の会社に入り仕事をしてたんだけど、そのうち人に使われるのがつまらなくなって、電気工事士の資格をとって独立をしました。

独立して個人事業主で電気屋をやってたんだけど、電気屋って現場では大工さんや他の職人さんよりも立場が弱いと感じて、しょっちゅう他の職人さんとトラブルを起こしてたんだよね。そんな感じで仕事をしていたら、電気屋がおもしろくなくなって、25歳のときに水道屋で使われるようなった。

−−そこで一度職種を変えられたんですね

そうですね。そこで、1年くらい雇われてたんだけど、やっぱり自分でやりたい気持ちが湧いてきて。でも免許ないと親会社の下で働かなきゃいけないみたいな感じだったから、自分で水道屋に必要な免許もとって自分で会社立ててやってた。

−−会社作ってその後はどうでしたか?

どうも人を使うのが下手くそで、自分でやってしまったほうが早いってことで自分でやってたら、結局下の人間が育たなくて。すぐ頭こなしに「なにやってんじゃ」みたいに叱ってしまって、結局下の人間もついてきてくれなかった。若いときは血の気もあったし、毎日先頭に立ってガツガツ行くタイプだったからね(笑)。

年齢の限界を感じ、喫茶店のマスターに

−−水道屋さんのあとは何をされたのですか?

35歳くらいになって、このまま年重ねたらこの仕事は体力的に続けられないなと思って、
若い時からやってみたかった喫茶店のマスターをやってみたの。人間やっぱり年には叶わないからさ(笑)。

喫茶店は20年くらいやって、3軒くらい店だして、バブル時代の名残もあって繁盛はしたね。
それまでは肉体労働でバンバン外に出て働いていたから、喫茶店でエプロンして店の中ウロウロするマスターの仕事めっちゃ楽だなって思ったの。

でもふと15年位したころ、「こんなことして時間もったいないな、俺の人生これで終わるのかな」って思ったんだよ。ちょうど浦島太郎みたいな感じで。

何かかサイドビジネスできるんじゃないかなって思って、友達の建築の社長に「なんか儲かる仕事ないか?」って相談したら、「不動産儲かるよ」って。

それで、宅建免許取らないといけないっていわれて、1年勉強して資格を取ったの。
その時が50歳くらい。そこから不動産事業を立ち上げて、喫茶店と両方やっていた。

俺の人生波乱万丈やねん(笑)。

−−波乱万丈ですが順風満帆でもありますね

そこまではよかったんだよ。景気が良いから、お金儲かってると思われて。
人に5000万円くらい金貸してん。それで資金が手元になくなってしまって、嫁とも夫婦ゲンカになって、そこからうまいこと行かなくなって、嫁と離婚する話になって。
3件の喫茶店で一番繁盛している店を養育費変わりじゃないけど、子供育てていくために嫁にあげて。

それで地元の沖縄から九州に移ったんだけど、その時60歳くらいだから体力ないと思われて使ってくれないわけよ。

その中でも、とある会社の社長に実力主義だからということで雇ってもらって3年くらい働いたね。そこでもやっぱり水道とか電気関係をやってた。

その会社でがむしゃらで仕事してたら、その会社売り上げものすごく上がっちゃって、社長も喜んでたね。

でも俺、これまでも自分でやってきたから、また自分でやりたい気持ちが湧いてきたんだよね。もちろん社長には引き留められたけどね。

それで、自分でやるんだったら人口が多い東京だなって思って、66歳くらいで上京してきた。

70歳の今でも元気に東京で仕事

−−それで東京でお仕事を始められたのですか?

そう。ネットで求人調べてたら、埼玉のリフォーム会社の水道職人の募集をみつけて、応募したら電気の経験も見込まれて水道と電気全部やったりしてたね。

でも残業も多くて、夜中の1時とかにも連絡くるもんだから、社長に「やめますわ」って言って、また自分で仕事を探し始めた。

ネット見てたら水道の仕事って意外と少ないんだよね。だから電気をメインにして、ゼネコンの現場に入ったりして、現場を転々としているわけさ。

こんな経緯があるから、やっぱり波乱万丈だよね(笑)。

負けたくないし、儲けたいから未だ現役

−−なぜそこまで頑張れるんですか?

ひとつは、「負けてたまるか」の精神だね。今ゼネコンの現場入ってて、職人だけでも300人が入っているような大きな現場で、30歳とか40歳の職人と一緒に肩並べて仕事やるわけ。腕の見せ合いみたいなもんよ。職人同士の。

一人親方だから、一人前で扱われるし、「あれできない、これ知らない」なんて言えないから、もう負けてたまるか精神で戦うわけ。そういう気持ちでやらないと、現場行ったらなめられるからね。

もうひとつは、俺、金儲け好きやねん。儲けんかったら誰も幸せにできへんやん。だから頑張ってるわけ。そのために健康重視して食べ物にも神経使ってるよ。酒もタバコも昔にやめたしね。

−−だから長年元気にやられてるんですね

元気がないと何もできないよ。頑張られへん。今でも気持ちは負けない気持ちがあるから。
普通は定年退職よ。俺年金もらってやってるからね。灰になるまで現役でやってやろうと思って。

−−なんだかお尻を叩かれた感じがします

お前ら若いもんが熱い気持ち持って仕事しないでどうすんねん。俺はまだまだ全然気持ちは熱いねん。バンバン頑張らなあかんねん。俺も80まで現役で30,40の奴らと肩並べて働くからな。

さいごに

波乱万丈の人生と元気の秘訣を教えてくれた金城設備工業の金城一雄さん。まだまだ元気でお仕事募集中だそうです。

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